自動車メーカーR社との回収トラブル
2006年9月18日 お仕事英国駐在して間もなくの1998年9月のこと、日本人出向者の営業部長から、R社に対する多額な売掛金の未回収問題が発生しているとの報告を受けた。当社は、日本から大物機能部品を英国に輸入し、自前の倉庫に保管し要請に応じ供給する仕事を行っていた。
納入は、1996年から始まっており、最初はクルマとのマッチングをテストするための試作品の供給であった。部品と言っても大物で、一つが高額商品であった。購入先からの支払いの督促があり、当社の納入代金の回収状況をチェックしたが、未回収であることが判明したとの報告であった。
当社の問題は、R社に請求しようとしたが、納入伝票や受領書が記録として保存されていないというのだ。通常では、正規納入と違って、試作品の段階では売掛金も多額とならないので、正規品の販売価格にて回収できるばあいもあるが、今回の大物部品の場合は、試作品だけでも多額で、当然回収すべき性格のものであった。
調べてみると、当社の売掛金回収管理に不備があった。納入情報が全く完備されていないのだ。先方のオーダーナンバーも記録されておらず、先方との回収会議では、オーダーをしていないと惚けられても証拠も無く、苦しい立場になってしまった。回収交渉はなかなか進まなかった。
この問題は、決算にも波及した。1998年の決算のAudit において、監査法人のDeloitは、R社からの売掛金の回収努力をしっかり行って、未回収をもっと減少させ、目処がつかない限り、signature出来ないと突き離されてしまった。
結局、1998年度12月決算の当社のAuditが完了したのは、約一年後の1999年の11月末になった。しかも回収問題は未解決のままであったため、1998年の決算は、注意意見を記入された決算書になった。完全に監査法人からは、要注意と指摘されてしまったのだ。
そもそも問題の発端は、ビジネスをするに当たって、必要な帳票を注文ー発注ー納入ー回収と言う一連の流れに従って完備する意識が最初の段階から徹底されていなかったことにあった。また、試作品納入と言う地味で利益の少ない段階を英人担当者に任せきりにし、管理不在であったことが問題であった。海外拠点は、戦力をギリギリのレベルで戦っているので、管理者も皆playing−managerが不通で、余裕はない。皆どのレベルであっても、経営者の積りで自己完結してもらわないと成り立たないのが実態である。
この問題は、兎に角尾を引いた。R社が、親会社からの分離され英国のローカル資本に売却されたことから、当社の売掛金の問題も解決が複雑になり、手間取ってしまった。弁護士を挟んでの厳しい交渉となり、完全に解決したのは、2004年末のことだった。
基本的な業務処理基準書の構築と遵守というビジネス上の基礎の重要性を改めて痛感させられた次第です。
ロンドンブリッジ
納入は、1996年から始まっており、最初はクルマとのマッチングをテストするための試作品の供給であった。部品と言っても大物で、一つが高額商品であった。購入先からの支払いの督促があり、当社の納入代金の回収状況をチェックしたが、未回収であることが判明したとの報告であった。
当社の問題は、R社に請求しようとしたが、納入伝票や受領書が記録として保存されていないというのだ。通常では、正規納入と違って、試作品の段階では売掛金も多額とならないので、正規品の販売価格にて回収できるばあいもあるが、今回の大物部品の場合は、試作品だけでも多額で、当然回収すべき性格のものであった。
調べてみると、当社の売掛金回収管理に不備があった。納入情報が全く完備されていないのだ。先方のオーダーナンバーも記録されておらず、先方との回収会議では、オーダーをしていないと惚けられても証拠も無く、苦しい立場になってしまった。回収交渉はなかなか進まなかった。
この問題は、決算にも波及した。1998年の決算のAudit において、監査法人のDeloitは、R社からの売掛金の回収努力をしっかり行って、未回収をもっと減少させ、目処がつかない限り、signature出来ないと突き離されてしまった。
結局、1998年度12月決算の当社のAuditが完了したのは、約一年後の1999年の11月末になった。しかも回収問題は未解決のままであったため、1998年の決算は、注意意見を記入された決算書になった。完全に監査法人からは、要注意と指摘されてしまったのだ。
そもそも問題の発端は、ビジネスをするに当たって、必要な帳票を注文ー発注ー納入ー回収と言う一連の流れに従って完備する意識が最初の段階から徹底されていなかったことにあった。また、試作品納入と言う地味で利益の少ない段階を英人担当者に任せきりにし、管理不在であったことが問題であった。海外拠点は、戦力をギリギリのレベルで戦っているので、管理者も皆playing−managerが不通で、余裕はない。皆どのレベルであっても、経営者の積りで自己完結してもらわないと成り立たないのが実態である。
この問題は、兎に角尾を引いた。R社が、親会社からの分離され英国のローカル資本に売却されたことから、当社の売掛金の問題も解決が複雑になり、手間取ってしまった。弁護士を挟んでの厳しい交渉となり、完全に解決したのは、2004年末のことだった。
基本的な業務処理基準書の構築と遵守というビジネス上の基礎の重要性を改めて痛感させられた次第です。
ロンドンブリッジ
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