ロシア金融危機での辛い経験
2006年9月16日 お仕事1998年7月6日に、ロンドンヒースロー空港に降りた。私の欧州現地法人での社長業がスタートした日であった。
欧州駐在ということで、歴史と文化に満ちた先進国に大いに期待感を持ち、やや気分も昂揚気味であったのを覚えている。
先ずは、経営状況や業務内容とその実態の現状把握に取り組み、又、取引先への挨拶も計画的に進めた。
当社の事業の一つに、ロシアとウクライナへのクルマとアフターサービス用パーツの輸出事業があった。ローカルが経営する販売会社に英国から日本製や欧州製のクルマを販売する仕事である。
8月末、英人の販売部長と一緒に、モスクワとセントペテルスブルグに出張した。お客様である販売会社に挨拶するためである。
その時、8月24日だったか、突然ロシアツ通貨のルーブルの対Dollarベースでの大幅切り下げが行われた。1997年にアジアに始まった金融危機が回りまわってロシアに襲ってきたのだった。
当時、ロシアの輸入自動車の販売は、1997年後半から好調な経済成長の影響で急増していた。カントリーリスクの高かったロシア向け車両の購入は、三ヶ月前の見込み発注を自動車メーカーに行う方式であった。
突然のルーブルの切り下げでドルベースの取引であったためユーザーにとっては購入価格アップになり、クルマは全く売れなくなり、大量の在庫車両を抱えることとなった。当時、月に300〜400台の販売に対して、在庫は、最高で1,500台を数えた。
それからは、輸入車の販売はがた落ちで、全メーカーが苦しんだ。在庫車両は、フインランドのハンコーに預けていたが、在庫置き場に溢れた車両の保管料も嵩み、1998年9月以降、2000年4月頃までの間、会社損益にとって多大な重荷となった。在庫削減のための販価値下げは収益悪化も齎した。
ロシア金融危機は、2000年春以降正常化に向かい、車の販売も上向きとなり、漸く正常な在庫状態に戻っていった。
当社は、ロシアの不振に対して、ウクライナの販売活動にも重点的に取り組み、販売網の構築に注力し販売を延ばした。ウクライナの経済は、ロシアには遅れていたが経済発展の兆しが現れており、現地キエフの駐在事務所からの情報に基づき、戦略的に積極的に取り組んだ。
ウクライナへの増販や仕入れ調整などにより、当社の過剰在庫も漸く正常化。在庫過剰の時、現地販売会社に購入を再三お願いしたが、大きな効果は無く、協力しては貰えなっかったのは残念であった。
今回の在庫過剰の原因は、突然の予期できなかった、金融危機にあった。誰も恨むことは出来ないが、当社が困っていてもロシアの取引先は誰も助けてくれなかったのは心に残っている。損を覚悟で人肌縫いでくれる取引先などは無く、期待することが無茶と今は思うが、教訓の一つとして忘れられない出来事になっている。
ロシア金融危機では、米国の有名なヘッジファンドのジョージソロス率いるLTCMが倒産して世間を驚かせたことは、余りにも有名である。
英国駐在して一ヶ月ちょっとで経験したロシア危機は、その後の駐在中における厳しい経営経験の始まりであった。
ロンドンブリッジ
欧州駐在ということで、歴史と文化に満ちた先進国に大いに期待感を持ち、やや気分も昂揚気味であったのを覚えている。
先ずは、経営状況や業務内容とその実態の現状把握に取り組み、又、取引先への挨拶も計画的に進めた。
当社の事業の一つに、ロシアとウクライナへのクルマとアフターサービス用パーツの輸出事業があった。ローカルが経営する販売会社に英国から日本製や欧州製のクルマを販売する仕事である。
8月末、英人の販売部長と一緒に、モスクワとセントペテルスブルグに出張した。お客様である販売会社に挨拶するためである。
その時、8月24日だったか、突然ロシアツ通貨のルーブルの対Dollarベースでの大幅切り下げが行われた。1997年にアジアに始まった金融危機が回りまわってロシアに襲ってきたのだった。
当時、ロシアの輸入自動車の販売は、1997年後半から好調な経済成長の影響で急増していた。カントリーリスクの高かったロシア向け車両の購入は、三ヶ月前の見込み発注を自動車メーカーに行う方式であった。
突然のルーブルの切り下げでドルベースの取引であったためユーザーにとっては購入価格アップになり、クルマは全く売れなくなり、大量の在庫車両を抱えることとなった。当時、月に300〜400台の販売に対して、在庫は、最高で1,500台を数えた。
それからは、輸入車の販売はがた落ちで、全メーカーが苦しんだ。在庫車両は、フインランドのハンコーに預けていたが、在庫置き場に溢れた車両の保管料も嵩み、1998年9月以降、2000年4月頃までの間、会社損益にとって多大な重荷となった。在庫削減のための販価値下げは収益悪化も齎した。
ロシア金融危機は、2000年春以降正常化に向かい、車の販売も上向きとなり、漸く正常な在庫状態に戻っていった。
当社は、ロシアの不振に対して、ウクライナの販売活動にも重点的に取り組み、販売網の構築に注力し販売を延ばした。ウクライナの経済は、ロシアには遅れていたが経済発展の兆しが現れており、現地キエフの駐在事務所からの情報に基づき、戦略的に積極的に取り組んだ。
ウクライナへの増販や仕入れ調整などにより、当社の過剰在庫も漸く正常化。在庫過剰の時、現地販売会社に購入を再三お願いしたが、大きな効果は無く、協力しては貰えなっかったのは残念であった。
今回の在庫過剰の原因は、突然の予期できなかった、金融危機にあった。誰も恨むことは出来ないが、当社が困っていてもロシアの取引先は誰も助けてくれなかったのは心に残っている。損を覚悟で人肌縫いでくれる取引先などは無く、期待することが無茶と今は思うが、教訓の一つとして忘れられない出来事になっている。
ロシア金融危機では、米国の有名なヘッジファンドのジョージソロス率いるLTCMが倒産して世間を驚かせたことは、余りにも有名である。
英国駐在して一ヶ月ちょっとで経験したロシア危機は、その後の駐在中における厳しい経営経験の始まりであった。
ロンドンブリッジ
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