伊勢湾会

2007年2月19日 友達
元の職場の同期生から久し振りに連絡があった。

同期でのゴルフ会の案内である。年に1〜2回位やっている。OB会の名前は伊勢湾会。

今から約40年以上前の新入社員時代に、その頃はライバルであった名古屋の某メーカーに因んで、同期会の名前を伊勢湾会としている。
最も、今はライバルなんてオコガマシイ状況に成り果てているが。

同期のメンバーは、一部が子会社で勤務する者もいるが、殆どが退職し、それぞれの道を歩いている。まだまだ体力があって新天地で頑張っている者も結構多い。

今回は、都合で参加できないが、こうした会合は大切にしたいと思う。

現役時代に、海外部門の仲間で、シンガポール、タイ、中国などで一緒に苦楽を共にしたメンバーとも久し振りに会える機会でもある。

シニアにとって、こうした各レベルの”集う機会”は大切である。‘生き甲斐‘になり‘ボケよけ‘などにも欠かせない要素にもなる。
                     ロンドンブリッジ

湯本温泉

2007年2月12日 友達
小田急新宿からロマンスカーで、湯本に向かった。逗子から、東海道線で来て、湯本で落ち合う者を加えて、8人での1泊温泉旅行。昨年に続いて、2回目となる。

天気が2月の湯本と思えないほど爽やかで良かった。途中の近くで見た富士山、山間の空間を悠々と鳥の様に舞うハングライダーが、心を和ませてくれ、素晴らしかった。

ホテルが経営する暁亭という、豆腐と蕎麦で人気の店での昼食では、30分以上待った。連休最終日の行楽日和で、観光客も多く、テレビで取り上げられたことの反響の大きさかと思われる。

野天風呂で温まり、マッサージ器で体をほぐしながらの談笑、日頃の憂さは一変に飛翔。

山県有朋ゆかりの住まいが、そっくり移設された、日本式家屋での懐石料理を、夜の宴で堪能。

気の置けない仲間と共に、久し振りの温泉で、命の洗濯をした。

海外駐在時には味わえず、夢にまで見て憧れる日本文化の象徴と言ってもよいのではないか。                                    ロンドンブリッジ

同級生の死

2007年2月10日 友達
メールを開けたら‘訃報‘が入っていた。

大学前期で同クラス(J)の男。詩を愛し、見るからに知的で色白の優男だった。

1年半前のクラス会以来会っていない。

この正月には、賀状を交換した。必要最少限の文面で妙にスッキリした賀状だった。その時は、彼の詩的なセンスと思っていたのだが。

それにしても早過ぎると思う。が、自分が勝手にそう思うだけで、一般的には既にありうる年齢に来ていると思うべきか。

同期の仲間からのメール以外に、ご家族の手によると思われるメールでも訃報の知らせ。お通夜はしないで、お別れ会のみだそうだ。

彼は、クラス幹事の一員として労を取ってくれ、皆お世話になった人だ。

”お別れ会”が、厳かに粛粛と、彼の旅立ちを飾るに相応しい儀式として、執り行われるよう願う。

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
                  ロンドンブリッジ

KD会

2007年2月5日 友達
中学卒業クラスの集い(KD会)を計画している。

3月末の日曜を予定。場所は上野。桜の名所で、時期が悪く会食の場所探しに苦労している。

上野公園内の気の利いた和食の店に連絡したら、なんと1月3日から3月の予約を取っていて、とっくに満員だった。遅かった。

何とか、他のホテルの懐石料理の予約を取れてホットしたのも束の間、メールで他に3人参加者が増えるらしいとの連絡。

これまでいつも人数集めが大変だった。だから、狭い部屋しか残っていなかったが、少ない人数を見込んで予約したが、漸く取れた部屋では、狭いかもしれない。

皮肉な者だ。少なく見積もると、多くなる。多くを期待すると、集まらない。

これまでの人生そのもののような気がしてきた。
                     ロンドンブリッジ
今、上野の森美術館で、パリのオルセー美術館展が開催されている。以前、ロンドン駐在中に、パリに義父母と共に行った時、家内他の皆がshoppingしている合間を縫って、一人オルセーに行き、駆け足で回ったことがある。

印象派の絵が多く、ルーブルは有名だが、好きな絵は、オルセーの方が多い。

丁度、中学の卒業クラスの有志の会をクラス担任の先生を囲んでの開催を計画中。

幹事役であるので、オルセー美術館展を絡ませて、実施しようと案を練っている。

4月8日が最終日なので、それまでには行わなければならない。

今までに無い、格調の高い会合になりそうで楽しみである。
                   ロンドンブリッジ

七福神

2007年1月27日 友達
今日は小学校のクラス会(五月会)の新年会があった。第一部は、文京区小石川近辺の七福神を奉る寺を訪問。子供時代に育った地域だけど、お寺のあることは分かっているものもあるが、七福神と結びついていなかった。

驚いたことに、後楽園遊園地の一角に、密かに七福神の一つがあった。

途中お茶の持間を入れて約3時間程、実家の周辺を含め小石川界隈を散策。小学校時代の仲間のあった家を確認したり、昔との街並みの違いを確認しながらの歩行は、無理も無くゆったりしていてしゃべりながらの散歩で楽しかった。

夕方5時からは、総勢15名での宴会。茗荷谷駅にある「日本海・庄や」が会場で、直ぐに子供時代にタイムバックし、会話が弾み賑やかだった。

その後は、アルコールの勢いで、お決まりのカラオケボックスに流れ込んだ。シニア組の歌は古いが、気持は童心で、先を争って歌い知れた。

シニアになると、カラオケも上手い下手など問題外、自分が我先にマイクを持ち、座るなり自分の持ち歌の登録で大忙し、遠慮などは一切みられなかった。

自分も久し振りに3曲歌って、やはり気分爽快になった。

五月会は、これからの生活を充実させるために大切にしたい集まりだ。
                     ロンドンブリッジ 

伝通院

2007年1月19日 友達
帰宅したら、年賀状の余りを使った新年会の案内が来ていた。元の職場の5年先輩からだ。元旦の賀状にも、新年会をやろうとあった。

この先輩は自分の育った小石川・伝通院の出身。当時は高級和菓子の店‘紅屋‘の長男だ。この先輩の妹とは幼稚園が一緒だった。大きくなって文京区の美少女に選出されたほどの美人。

当時、密かに自転車に乗って、店番をしていたその美少女を垣間見に行ったのを思い出す。

先輩は、今は悠々自適であるが、人脈を活用して保険の仕事などの自営ビジネスもやりながら、油絵を趣味にしている。年一回は、銀座松坂屋の側の画廊でグループ展示会を開催。此処3年は、展示会に顔を出し必ず鑑賞させてもらっている。段々腕が上がっているのが分かる。

自分も一時は油絵をやろうと思ったことがあるが当分は実現出来そうも無い。水彩と違って、油絵は描く場所が問題だから簡単では無い。

新年会の日時と場所は決まった。会うのが楽しみである。

此処まで書いて良く考えると、その先輩と会うことで、その影に幼稚園時代以来の憧れである妹さんに会っている気分になっていたのかと思う。一週間後に、またあの”マドンナ”に会えるのである。
                    ロンドンブリッジ
                 

N横浜会

2007年1月4日 友達
久し振りに7人が集まった。鶴ヶ島にあるゴルフ場である。メンバーは、皆以前の職場を同じくしているが、現役もいるがOBの会である。

今は、それぞれの生き方をしており、何をしているかなどについての情報交換などがメインとなる。ゴルフは口実。シニアになってからゴルフを始める人も居るが、大概が友達付き合いを求めてのchalengeである。

シニアになっても、健康で18ホールきっちりゴルフが出来ることを確認しあう手段でもある。

新年早々ではあるが、元気に平成19年を迎えられたことが尊いのである。

今日は、1月としては暖かく、快適であった。スッキリした。

この横浜会も4年目に入った。懇親会などを含め、年に4,5回は開催しており、次回は4月ごろに開くことを決め、高速道路などの渋滞を気にしつつ、早々とゴルフ場を後にした。明日から仕事だ。
                    ロンドンブリッジ

年の瀬

2006年12月29日 友達
今日から、正月休み。待ち構えていたのは、窓拭きなどの掃除。暮れの家庭の仕事の定番になっている。

その前に、メールを開けると、新年会の予定が来ていた。小学校の仲間が、福岡に転居するので、送別会兼新年会の案内だ。

シニアにとっては、クラス会、同窓会は欠かせない。瞬間にして若き頃に立ち返り、打算なしの会話が出来るのがいい。

男性は定年退職すると間違いなくこういう会合に意識して顔を出すようになるし、積極的に参加すべきであると思う。子育てが終わった女性は、かなり前から積極的に参加している。

会話やコミュニケーションは、脳の活性化に不可欠で、仮に家に閉じこもっていたりしたら、ボケ、認知症に近づく恐れが大きい。

今までは、この手の会合に、受身になっていて、声が掛かったら参加のスタイルであった。
これからは方針を変えて、こういうチャンスを自ら仕掛けることをしていこうかと思っている。事なかれ主義から「こと起こし主義」への転換である。
                   ロンドンブリッジ
               
久し振りにロンドンの知人とメール交換をした。

自分がロンドンで経営に携わっていた頃に秘書として働いていた日本人人女性で、レバノン料理のレストランを経営するシリア人のご主人と共に、ロンドンで暮らしている。

最近のトピックスとして、ロシアの元KGBの死亡事件でうわさのすし店の‘イッツ‘は事件以来、店は閉店になっている。また気温は、5度以下と厳しい寒さのようだ。

来月は、ご主人とシリアに行くとも書いてあった。米国との間で、シリアのアサド大統領は、イスラエル問題やイラク問題で対立している国であり、必ずしも治安が安定しているとは言えない国の一つである。

ご主人の顔の広さから、シリアに行っても心配はないと思うが、無事に楽しんできて欲しいと思う。

来年には、日本にも一時帰国を考えているとのこと、是非会って旧交をあたためたいと思う。ロンドンでの生活ではあるが、イスラム文化に飛び込み、逞しく生きている日本人女性の幸せを願いたい。
                 ロンドンブリッジ

京都ぎおん和Raku

2006年12月17日 友達
昨日、若き頃育った文京区の友人で作る‘小石川会‘の忘年会があった。

午前中、結石に苦しんだが、ケロッとして午後から予定通り参加した。

宴会の前に「御成門駅」に集合。イルミネーションやクリスマスの飾りなどを見学した。東京タワーと東京プリンスホテルのパークタワー、それに増上寺、うかい亭などを覗き、のんびりと散策した。12月にしては気候が良く気分の良い散策であった。

5時過ぎの東京タワーはライテイングされくっきりと天に向かって伸びていた。あのパリのエッフエル塔を思した。シャンゼリゼ通りはクリスマス飾りで華やかなことであろう。

6時過ぎに、飯田橋神楽坂にある忘年会場の”京都ぎおん和Raku”に参上。参加者の3人が既に来ており、総員8名の会。

店は、細い路地を入った奥まったところにあり、一見住宅。外からの構造はあくまで普通の家だが、中に入ると立派なレストラン。京の邸宅を感じさせるレストランとの触れ込みは、見事に雰囲気があった。
狭いが、庭は正に京風。

和食で品が良く、チリの白ワインがマッチングし、美味しかった。皆満足した様である。

いつもの屈託のない会話で時の経つのも忘れ、築いた時は10時前。二階の畳の個室で時間をせかされることも無く、満喫した。

‘良いお年を‘と、気分よく帰路についた。
 
2006年は、自分にとって”変化”の年であった。たまたま、安倍首相が、昨日の恒例のテレビ会見で、記者の「一言で言うと、今年はどんな年であったですか?」の質問にたいして、「変化」と答え、更に「責任」と応えていたが、内容は掛離れているが自分にとっても”変化の年”であった。
                  ロンドンブリッジ                     
今年7月から週一で参加していた大学OBの囲碁会、初心者なのに皆が暖かく加えてくれたので、夢中でchallengeした。やってみたら面白くて集中出来た。好きこそ物の上手なれではないが、少しずつ手ごたえを感じてきていた時、幸運にも、ベンチャー企業のお手伝いをする話しが纏まり、10月末から週5日出勤することになった。6月の退職後から4ヶ月ぶりの再度の勤めに出ることになり、これには家内も大歓迎。問題は、漸く楽しくなりつつあった、囲碁会への参加を諦めざるをえなくなったこと。

今は、テレビを見たり、本を読んで楽しんではいるものの、実践がしたくる。が、我慢している。

処が、昨日、同期の囲碁会の会長から参加のお誘いのメールが入っていた。同期の会は、水曜日の開催で、とても会場の神田まで、勤務後では間に合わないから、もう2ヶ月参加出来ずにいる。

それで、以前の会合の時に、駄目もとで土曜日の開催を頼んでいた。

メールは、毎月の第一土曜日の12時から、上級のクラスでやっているので、参加しないかとの誘いであった。

正直言って、この上級のクラスに行っても、自分のレベルでは何目も置いての対局だし、大概負けだ。
もし、例の水曜日のメンバーの‘級クラス‘の友人が参加してくれれば、楽しくなるのだが。

当然、来月1月からの参加の希望を返信メールした。この会にも、自分レベルの多くの凌ぎを削れる仲間に参加して欲しいと思う。
                  ロンドンブリッジ

何もなし。

2006年11月20日 友達
今日は、朝から強い雨。土・日の過密なスケジュールのため、体は今いち、しゃきっとしなかた。

一つの事件は、米国・サンシテイーのHiromiさんから、昨日、久し振りにメールが来ていて、嬉しかった。今日になって、会社からメールを出した。
今日は、これまで。明日から、また気合を入れたい。
                   ロンドンブリッジ
今日は、中学と大学のOB会が連続してあった。先ず、12時から15時までが中学の同期会で、有楽町のクルーズ・クルーズを貸しきって行われた。総勢109名の参加で、女性軍の方が多く、盛大であった。中学時代のアルバムから写真をスライドにして、思い出の一こまとして大画面に映した時、懐かしさに全員が盛り上がった。閉会の挨拶が終了した後、卒業時の三年D組のクラスメイトで出席者の8名と来年春の桜の頃に、来島先生を含めてクラス会をやる方向で幹事として案内を出すことでを約束して、次の会場に向かった。

次は、15:30〜17:30まで、如水会館で行われる如水会練馬支部の例会に参加。今回は、モーツアルト生誕250周年に因んで、著名なモーツアルト研究家にしてピアノの名手で、練馬区在住の田邊秀樹・一橋大学大学院教授の「モーツアルトの魅力」についての弾き語りの企画があり、いつもならば練馬区の施設で開催される例会が如水会館となった。
有楽町から竹橋まで、25分位で行くことが出来、余裕で十分に間に合うことが出来た。

ロンドン駐在時代に、オーストリア・ウイーンに家内と共に、旅行した時、モーツアルトの像を見たのを思い出しながら、話しを聞いた。教授の話は、彼の父親の教育のことや手紙のやりとりのこと等の興味深い解説があり、その後、教授曰く、「酒席ピアニスト」の誠に見事なピアノ演奏があり、文化的香りある一時を過ごすことが出来た。

第二部の宴会では、アルコールと軽食を摘みながら、37年卒で練馬区土志田在住の小林孝夫先輩と懇談した。学生時代は、目白に住み、小石川高校卒だと言うことを知り、高校も先輩であった。伝通院での演奏会のこと、イタリア料理の店のこと、目白コーポのことなど、色々話が弾んだ。特に、サッカーの話では、古河電工勤務の時、今のJリーグのキャプテン川渕さんとは営業の同僚でマージャンをやって、国士無双を彼に振り込んでもらった、などの逸話などもあり、話しが盛り上がりとても楽しい時間を持つことが出来た。
これからもこうした会合の機会がある時は、努めて参加し、多くの人との会話により、知識を得、脳神経細胞に刺激を与えるようにしたい。
                    ロンドンブリッジ
外出先から家に帰ってメールを空けてみたら先日来日して米国に帰国した友人からのメールが来ていた。帰国したことに対するメールの私の返事に対する苦情のメールであった。
先日日本であった時に書いたブログを転送していたが、その内容に対する、抗議・反論であった。いつものトーンではなく、感情的でムカッとして書いているのが伝わってくる調子。さぞや頭に来ていることと思う。自分では、久し振りに会った時のことを感じたままに記していたが、言葉が足りない部分があり、表現でかなりカチンと来たかなと今思う。
もしかすると、当分は、いや二度とメールは来ないかもしれない気がする。それは残念ではあるが、ブログを送ってしまった、自分の迂闊さを反省しているが、自分の蒔いた種だから諦めるとするか。いや絶対に諦めたくはない。あまりメールが来ないようだったら、こちらから送信することにしたい。米国からの貴重なメール、大切にしたいと思う。この友人は大切にする。
                 ロンドンブリッジ

忘年会の予約

2006年10月17日 友達
今日、元の会社のOB会の幹事長から、今年の忘年会の案内メールが届いた。確かに、今年も残り二ヶ月半を切ったのだから、そろそろ日程決めの時期が到来している。自分としては、これを入れると、二つ目の忘年会となる。今年は、いくつあるのか検討はつかないが、人間関係の維持とコミュニケーションと交友は大切にして、可能な限り参加したいと思う。
昨年も忘年会で使った、自分の大学OB用の竹橋にある会館を会場にしたいとの仰せがあり、早速連絡して、概要を確認し、幹事殿に情報提供した。
一年の経つのは、年々早くなっているし、自分でしっかりメリハリのあるスケジュール作りを心掛けないと、何の変哲も無く徒に日にちだけが過ぎることになる。その意味でも、一年の締め切りをきちんとつけ、振り返りと次の年に向けて思いを巡らすことの意味はあると思う。
忘年会では、今年の嫌な出来事を忘れることではなく、むしり一年を思い返して、positiveに反省し、同じ轍を踏まないようにその思いを翌年に活かすことにあるのではないか。そ言うことによって、一歩一歩進歩していくことになると思う。
もうアルコールにおぼれ、年忘れをする年齢でもないし、今年の年の瀬の過ごし方は、有意義なものにしたい。
               ロンドンブリッジ

ヨット

2006年10月8日 友達
昨日は葉山マリーナの隣のあぶずり港を停泊港にしている友人の北川氏のヨットーJUGEMU号に乗った。前日までの猛烈な低気圧が北東に抜け、少し風が強かったが一転して好天に恵まれた。伊豆半島、富士山、更には大島がハッキリと見え、相模湾は絶好のクルージング日和であった。北川氏の会社時代の先輩で共同保有者の土井さんの三人での出航であった。JUGEMU号は30フイートのメインとジブの二枚セールで、船腹も広く安定したヨットで走りは平均4〜5ノットで快適であった。
来週には、ハーバーの仲間内でのレースが予定されており、その練習の帆走に誘って貰った。タックやジャイブなどを練習したが、スピンネーカーは晴らなっかった。
私も暫らくの間テイラを握らせてもらった。強めの波にキールが押され、腰の強い風にヨットのヒールがきつく、腕に感じる重みはとても懐かしい感触だった。

昔葉山よりずっと先の油壺ヨットハーバーの隣の諸磯港に24フイートのBLUEWATERブランドの‘緋牡丹‘と言うヨットを友達と共同保有していたことがある。もう30年も前のことになる。それから昨日までの間に一回だけ、シンガポールとマレーシアとの間の湾でシンガポール人所有の小型ヨットに乗せてもらったことがあったが、本格的には30年ぶりのことになる。

昔、知り合いの大型ヨットで大島にいき、一泊して帰って来たことを思い出し、海がきれいになっていることに関心しながら、一色海岸や三戸浜海岸を海から眺め、色々な思い出の記憶を辿りながらの快走は最近にない至福の時間帯であった。
                   ロングブリッジ

大学OBゴルフ会

2006年10月1日 友達
昨日は大学OB同期会のゴルフコンペに初参加した。5組20名が参加。
かなり前に発足したが、自分は海外に居たのと、帰国して2年間になるが、気乗りしなかった。会社を退職しセカンドライフに突入したのを契機に、参加することにした。同窓会練馬支部、囲碁愛好会に加えて、大学関連では三つ目になる。

セカンドライフの過ごし方として、健康、交友、経済の3Kを大切にしたいと思うが、このゴルフ会参加は交友の充実を意識してのもの。又、健康にも好影響はある。健康でなければゴルフなどやれるわけがないから。

昨日は、残念ながらパワー不足を感じさせられた。飛距離が同じパーテイーの4人の中で、最低だった。毎日継続的にストレッチで鍛えている積りなのにである。要因には、打ち方に問題があり、それと道具(クラブ)にも有るような気がする。どんなに良いクラブにしても打ち方が悪ければ、駄目なわけだから、順番は先ずは打ち方の改良になる。が、今は昔と違って、そんなに練習する気もないし、(他に時間を使いたいから)、クラブを新しくすることも考えたいが今更の感があり如何なものか悩ましい。次回は11月11日(土)なので、そこでも納得できるショットが出来ない場合は、クラブの購入を考えようと思う。

それにしても、同期のメンバーは元気で力強く感じた。そういう人が参加しているのだと思うが、自分も刺激を受け、負けずに鍛えていこうと再度認識することになり、その意味からもこの会に参加した意義があったと思う。
                   ロンドンブリッジ

小石川会

2006年9月23日 友達
2年前から、小学校、中学校などでの同期生で文京区小石川等で育った者で作った親睦グループに参加しており、今日はその集まりふが、メンバーの一人の自宅で行われた。会の名称は、小石川会といい、女性4名、男性5名の小グループです。
今年5回目になり、忌憚無く本音で話が出来る大変良いシニアの集まりである。シニアではあるが、皆気持ちも見た目も若い。会の主導権は、勿論女性軍に握られており、この会を末永く継続するための色々なアイデアが提案され、確実に実施してきた。例えば、湯本温泉での一泊旅行(2月)、お花見(4月)、逗子海岸でのバーベキュー(5月)、暑気払い(8月)と言う具合。

シニアと言えども、男性はそれぞれの仕事で活躍している。自営業が二人と定年後も新しい仕事に挑戦する者が二人である。又女性の一人は、子供にKUMONを教える教室を開いている。

たっぷり話をし、食べて飲んで、約5時間半、命の洗濯になったと思う。

別れを惜しみながら会をお開きとしたが、次回の忘年会の日取りを決めたことは、申すまでもありません。
                   ロンドンブリッジ

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